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キャンドルローウェル家の人々(2)ジェイムズ・ラッセル・ローエル

ジェイムズ・ラッセル・ローエル長き伝統を誇るローウェル家でも最も著名な男だったであろうジェイムズ・ラッセル・ローエルはパーシヴァル・ローエルの叔父にあたり、ロマンティック詩人・批評家・風刺家・外交官そして奴隷廃止論者だった。

子供の頃からラテン韻文に親しんでいたジェイムスは1838年ハーバード大学に入学する。特に将来の展望が見つからなかったのでとりあえずは法律を学びながら詩や散文をいろんな雑誌に寄稿しており、当時「炉辺の詩人」というアメリカ新体詩運動のメンバーにも属していた。

1840年、詩人のマリア・ホワイトと結婚。このマリアホワイトとの暮らしが彼に大きな影響を与えることになる。マリアはすでに有名な詩人であり、彼女の性格と信条は「不摂生と奴隷制度への悪」にジェイムスを向かわせることになった。彼ら二人は社交界のヒーローとヒロインになった。


そして生活名目上、法律事務所を維持するけれどジェイムスはますます文学的なジャーナルを確立することに情熱をかたむけることになっていく。現在ではアメリカルネッサンスの巨人たちとして有名な「ナサニエル・ホーソーン」や「エドガーアランポー」などをエディターとして彼らの才能に道を開いたりもした。新聞寄稿や雑誌編集といったジャーナリスティックなエディター(編集者)としてのジェイムスはエスプリがきき、ユーモアあふれていた。もちろん彼の詩も文学史にはたびたび登場するが、奴隷廃止論や米墨戦争(1846年)においての彼の論文は人気があったらしい。しかし愛するマリアホワイトとの12年間の生活は彼女の死によって終わりを告げられ、幼い息子にも先立たれる。しかしこの悲しみがより彼の人生を再調整させることにもなる。

「明朗になろう。耐えきれぬほどのひどい不幸など、あり得ないのだから」

出版人としての半生を送った後は外交官としてあるいは大学で教えることになったり公的な分野で活躍することになった。

ジェイムズ・ラッセル・ローエルは十全に人生を生きた。

| パーシバル・ローエル | 22:24 | comments:(0) | trackbacks:(0) |
キャンドルローウェル家の人々(1)
エイミー・ローエル

ここ数日、パーシヴァル・ローエルのことを調べるにつけ、興味深い物事が次々でてくる。
20世紀はじめ、アメリカモダニズム詩人であり、ピューリツァー賞に輝いたこともある妹がいた。

葉巻きを愛好し、巨体をたゆたわせた女性詩人、エイミー・ローエル。

「T.S.エリオット、エズラ・パウンド、D.H. ローレンス、ロバート・フロストといった詩人達と活発に議論を交わしていたらしい。彼女の詩や詩論は、彼女の詩作のなかには日本や東洋を題材とした作品が多くあり、そのオリエンタリズムの特徴や、あるいは、現代詩の中核をなすイマジズムの擁立と実践にかかわる詩論など、興味深い研究がなされてきたのは事実である。それでも、40年代以降のキャノンから彼女が明確に排除されたことも否定できない事実である。それはなぜだろうか。皮肉な事に、その理由をさぐることから逆に彼女の本質に迫る道が開けてくる。実際ここ10年ほど、エイミーに対して熱っぽい関心が向けられはじめ、これまで抑圧され、無視され続けた彼女のレズビアン詩人としての側面に新しい光が注がれている。ボストン・ブラーミン出身の彼女が背負った文化との関係において、その伝統にあらがった彼女の詩作と生き方は、今こそ新しい研究を求めているといって過言ではない。」

と、国際基督教大学の大西直樹英米文学教授は語っている。

兄が兄なら妹も妹だ。ぶっ飛んでいる。もともと文学的素養のある家系のようだ。実際、ネットで検索してもエイミー・ローエルの記事は日本語ではあまりみつからない。英文のサイトをしらべてみるか。

| パーシバル・ローエル | 14:34 | comments:(0) | trackbacks:(0) |
キャンドル穴水での愉快なローエル
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ローエルがとても大げさで愉快な男であることは「NOTO」で能登半島を見聞した文章の中でも散見することが出来る。

いよいよ穴水の船着場(現在のローエル碑跡)につくと、「隠居婆さんたちがぺったりと水辺に座っている。(瞑想するカエル)のように動こうとしない。これらの婆様たちは狩野常信の浮世絵のなかにじぃと座っている(すなどりびと)であり、掛け軸の人物さながらでこの風景の片隅に常信の落款が押してないか探してみるのであった」とユニークな空想に浸る。

穴水での休憩のあと、再び七尾へむけて船を走らせるが、途中で見た「ぼらまちやぐら」の上にのぼってみたい衝動にかられ、船を近づける。
「梯子の役をしている横木の間隔は、ある個所では思い切って大股を広げなければならないくらいに広く、私より短足の見張り番の漁師にとっては、これはたいへんな離れ業にちがいないと思った。上に上るにしたがって、横木の丸太は細くなっていくので私は肝を冷やされるよう戦慄をおぼえながら、やっとの思いで籠にたどりつくや、そのままその中に這いつくばってしまった。」
勇敢なのか臆病なのかわからない。そのあと「ここでフランスの小説を読んでみたい」などと言う。

苦労を重ねて穴水までやってきたローエルはこの小又川での静かなひと時が彼の人生のターニングポイントであったと坂下さんは分析している。事実ここからローエルの本格的な天文学の始動となっていくのだ。古在由秀東京国立天文台長は「ローエルは能登半島を火星に見立てて旅行を試みたのではないだろうか」とも語っていたらしい。そうすればさながら穴水に住む我らは「火星人」か?
| パーシバル・ローエル | 16:48 | comments:(0) | trackbacks:(0) |
キャンドルパーシー叔父さん
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由緒あるボストンローエル家の変り種「パーシバル・ローエル」は現在でもその大きなヴィジョンは子孫であるウィリアム・L・パットナム氏に受け継がれている。

アリゾナ・フラグスタッフにあるローエル天文台のパットナム氏はこう語る。

「パーシー叔父さんは当時は天文学仲間からは十分に評価されませんでしたが、パーシヴァル・ローエル天文台の組織の精神として、今もスタッフが語るように天文学の将来の発展にとって最重要の存在でした。私もまた、1987年に日本へ行き、能登半島の穴水を訪ねてローエル饅頭を食べ、七尾湾を航行し、地元の人たちの集会に参加しました。数年前には、能登地域からの代表団を、ここフラグスタッフの火星の丘に迎えました。つまり、われわれの天文台の創設者に対して、穴水町が示してくれた暖かい心情を今後も維持していくために、出来るだけのことを行ってきました。~(あと続く)」

このパットナム氏が昨年12月にアメリカの天文雑誌に寄稿した文章とローエル天文台のステッカーを携えて、坂下さんは感激とともに今朝早くやってきた。

我々はなんとなく関わったローエルと穴水町という風にとらえていたが、坂下さんの尽力によってここまでの信頼関係が繋がっていることに感動さえ覚えるのである。
| パーシバル・ローエル | 18:22 | comments:(0) | trackbacks:(0) |
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