
パーシヴァル・ローエルは1855年三月十三日、アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストンで生まれました。ハーヴァード大学で数学・古典文学・物理学を学び、卒業後は英国からシリアへかけて旅行した時からローエルの世界旅行家としてのキャリアは始まったようです。
その後、祖父のジョンアモールの許にあった綿会社の経営実務にたずさわるが退屈な実務に耐え切れず、さらにはアメリカでの産業主義と機械万能主義に疑問をもちはじめ、東洋の神秘思想を求めて1883年、来日。
東京で家を借り、日々日本語の学習に励んでいたところ、朝鮮国のアメリカ合衆国への政府使節団の外国人秘書官に任命され、有能なる官吏として重宝がられる。この期における朝鮮・日本の滞在中の見聞をもとに「極東のこころ」を執筆し、ニューヨークで出版される。
この「極東のこころ」はラフカディオ・ハーンをして「この一冊の本は東洋についての最良の書物で私の所持するすべての東洋関係の本を合わせたよりもはるかに豊富な内容をもっている」と感嘆せしめた。
1889年一月、再び日本を訪れ、英吉利法律学校(中央大学の前身)で若い学生を前に「劣悪なる欧米人になるなかれ、優秀なる日本人たれ」と講演し、感銘を与えたあと、5月「能登旅行」を決行する。
(この詩的な紀行文は「NOTO 能登人に知られぬ日本の辺境」として出版される。「穴水にて」の章ではイサザ漁をしている老婆を眺めながら目的を達した安堵感と喪失感が入り混じった静謐な文章がある。)
その後、スペイン・インド・ビルマと回り、世界旅行家としての見聞を広め、三度来日し、木曾の御岳に登山し、神習教管長 芳村正乗につき神道の研究に没入することになる。
1893年、日本を永久に去り、幼少の頃からの夢であった天文学に身を捧げるようになる。アリゾナ州フラグスタッフにローエル天文台を創設し、特に「火星の研究」に没頭する。多分にロマン派の文学に傾倒していたローエルの言動は天文学会を震撼させていたが「火星に高等生物が棲息している」などといわゆる地球外文明論を唱道したり、冥王星の存在を予知したりするなどセンセーショナルな話題に事欠かなかった。
ローエルを評するに天文学者・世界旅行家・文学者・詩人・ジャパノロジストなど、適切な肩書きはみつからない。後にハーンやチェンバレンも言ってるが好奇心旺盛なスケールの大きな人間だったようだ。
「枠にとらわれない大人(たいじん)」は今、穴水の地で再びセンセーションを巻き起こす。