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パーシヴァル・ローエルも冥王星も、不滅です!
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キャンドルパーシヴァル・ローエル新刊!
パーシヴァル・ローエル


ついに待ちに待ったパーシヴァル・ローエルの実像にせまった大著が出版された。

「パーシヴァル・ローエル」(ボストン・ブラーミンの文化と科学)
ディヴィド・シュトラウス著 大西直樹ほか訳


大富豪ローエルは、なぜ”火星人説”を世に問うたのか?
宇宙進化論を基に文化と科学の統合を目指す多彩な才能が、
能登半島旅行を機に抱いた宇宙への夢・・・。

本の帯にはNASAに受け継がれた宇宙開拓精神の思想と行動の実像にせまる。とある。

本国アメリカではローエルの残した遺産の大きさ(それが物質的なものであれ、古きアメリカの開拓精神であれ)に日ごとに評価が高まっている。多少おめでたくとも果敢にチャレンジすることでそのスピリットは確実に次世代へと継承されている。是非一家に一冊は持っていたい本だ。


| パーシバル・ローエル | 14:55 | comments:(0) | trackbacks:(0) |
キャンドルおちゃめなローエルさん
当日配布したパンフレット記事より、ローエルの意外な一面?!をお伝えします。

パーシヴァル・ローエルパーシバル・ローエルといえば、名家の生まれでハーバード卒、
顔写真を見てもいかにもカタブツ!のようですが・・・
彼は「火星に宇宙人がいる」というとんでもない学説を唱え、
SF小説や映画が生まれるきっかけを作った張本人。
好奇心いっぱいで、行動力にあふれたおじさんだったよう。
そんなローエルの一面が垣間見られるエピソードを、
紀行文「NOTO」の中からいくつかご紹介します。


①気になるものには一直線
28歳で日本へやってきたローエル青年。東京での生活中に鯉のぼりを発見、
パーシヴァル・ローエル
「あれは何だ?!」
いてもたってもいられず見ず知らずの
人の家の屋根に登ってしまい、
「巨大な水槽の中に我はいるのだ!」と、ご満悦。


②そこはゆずれないんです
エリート育ちのローエルさん、床になんて寝られない?
パーシヴァル・ローエル
布団を6~8枚ほど積み重ねて、
ベッド代わりにしていたそうです。
夜はお供の料理人が作ったベッドに横になって、
ギリシャ神話のヒーロー気分になるのが日課。


③恋にもやっぱり一直線
日本の地図を見ていたローエルさん、目に入った能登半島にひと目惚れ。
パーシヴァル・ローエルその姿は、「海原にたたずむ乙女のよう」
"NOTO"の地名は、
「流れるようなNの音、確信を暗示するTの音、
 女性らしさと男性らしさを同時に現している!」
「憧れの心がつのり、足のあたりがむずむずして」
ついに能登旅行を決意。決めゼリフは・・・
「他人の恋人のことなど誰も分かってくれなくても結構!」

④冒険家??
ぼら待ちやぐらを発見したローエルさん、登らないはずがありません。
パーシヴァル・ローエルところが・・・
丸太の段を登るのがなかなか大変だった様子、
「短足の漁師にとっては大変な離れ業に違いない」
と余計な心配をしたり。上に行くに従って
「肝を冷やされるような戦慄を覚え」、籠に辿り着くと
「そのままその中に這いつくばってしまった」 あらら。
他にも書ききれないくらいのおもしろエピソードを残すローエルさん。
「愛すべきスットコドッコイ」なんて呼んだ方もいましたが、まさにその通り。
でも、そのパワーはラフカディオ・ハーンをはじめ多くの人に影響を残しているのです。

参考:紀行文「NOTO」(穴水町立図書館蔵)
穴水ポータルサイト・コラム 加藤真「こんにちは、ローエルさん!」

| パーシバル・ローエル | 15:07 | comments:(0) | trackbacks:(0) |
キャンドルローエル家の人々(4)ケアリー・ローエル

ボストンバラモンとして栄華を誇り、学術的な貢献を幾代もわたって成し遂げてきたローエル家の末裔にもこんな華やかな人もいた。

ケアリー・ローエル

ケアリー・ローエルは1961年3月11日、ミズーリ―州ウォーレンバーグにうまれた。(なんと筆者と生年月日が同じ!あんまり関係ないけど・・

幼少時代は地質学者の父と共に旅行にでかける日々を送った。高校卒業後はモデルエージェンシーに入り、ケヴィン・クラインやラルフ・ローレンの専属モデルとして活躍する。

その後、女優に転身し、1989年、「007殺しのライセンス」にボンドガールとして抜擢される。その後人気女優として活躍するが彼女の名をもっとも有名にしたのは2002年、ハリウッドの人気スター、リチャード・ギアの妻になったことだろう。

| パーシバル・ローエル | 09:35 | comments:(2) | trackbacks:(0) |
キャンドルローウェル家の人々(3)アボット・ローレンス・ローエル

アボット・ローレンス・ローエル「兄弟」で兄が実利的なことに疎く、夢見がちな好奇心溢れる人間だった場合、えてして弟は堅実な道へと進んでいくのはよくあることだ。またその逆も。パーシヴァル・ローエルの弟で1956年に生まれたアボット・ローレンス・ローエルはその典型だったろう。

数学に秀でていたアボットは1877年、ハーバードカレッジを卒業し、大学で法律を学び、1880年から1897年まで弁護士として働いた。

1898年、ハーバード大学の教授になり、1900年にはボストンのローエル研究所(教育財団)のの財政的責任者として父親の跡を継ぐことになる。由緒あるボストンローエル家の本来的な伝統を継承すべき人間として選ばれた。さらには1909年にハーバード大学の学長として就任し、同年、アメリカの政治科学協会の理事長にもなった。学長としてのアボットは精力的に改革に着手し、大学教育において一般教養と専門過程をわけるなど、より合理的で効果的な学習指導要項をさだめたりした。(これは現在でもアメリカの大学においてスタンダードな形態になっている)

しかし、アボットの人生には厳格な人間にありがちな冷酷で排他的な面も多分にみられたようだ。「人種差別主義者」として非難されることもしばしばで、そのために大きな論争を巻き起こしたりもした。

| パーシバル・ローエル | 17:45 | comments:(0) | trackbacks:(0) |
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